乳がん体験記⑨抗がん剤治療の副作用まとめと治療中、治療後の仕事について

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乳がん

2021年から2022年にかけて抗がん剤治療をしてきました。

同じ薬を使っていても人によって違うと思いますが、私に現れた副作用を、大変だった順に書いてみます。

ドキソルビシン、シクロホスファミド、ドセタキセル、ハーセプチン、パージェスタ、アナストロゾール錠

1.髪の毛が抜ける

やっぱり一番怖かったのは髪の毛が抜けたこと。これはホラーでした。抜け始めたのは投与を始めて2週間ぐらいたってからかと。
あらかじめショートカットにしておきましたが、恐る恐る髪の毛を洗うも指の間にまとわりつくくらい抜けるし、乾かすときもドライヤーの風でハラハラ抜けたり。

地肌が見えてきたら本当に怖くなったので、自分で はさみとシェーバーを使って坊主頭にしました。すっきりしました!

私はウィッグは使わず、家ではニット帽、会社ではバンダナキャップをつけました。
前にも書きましたが、髪の毛は生えてくるので、一時的なものにお金をかけたくなかったのです。ウィッグは高そうだったし。

髪の毛が抜けてから1年後くらいにはニット帽はかぶらなくてもよくなりました。ただし、髪質はだいぶ変わりましたよ。元は直毛でサラサラだったのに、クルンクルンに。今はまだクセが残っていますが、だいぶ戻ってきました。

2.鼻血

その次に怖かったのは鼻血が出たこと。手術前の1か月の間に何回か出ました。歯を磨いたあと鼻の頭をちょっといじっただけなのに、タラ~と洗面台に落ちて。それも結構な量だったのでビックリ。

食後ゆったりテレビを見ていたら急に出てきたりして、いつ出るかわからないのが困りましたが、幸い仕事中は出なかったのでよかった!

3.口内炎

口内炎は、治ったと思ったら別のところにできて、抗がん剤治療中は常にありました。もともとできやすかったんですけど、ずっと不快でしたね。

4.爪が割れる・指の皮がボロボロ

最初は爪の根元が紫色に。それから変形したり、層が分かれて割れたり。それが深く割れたりすると深爪したように痛くて指先に絆創膏を貼ったりしてました。

指の皮がむけてきたときは、痛くはなかったけど、指紋がなくなってスマホの指紋認証ができなくて面倒でした…。

5.食感がおかしい

これはどれくらい続いたか忘れてしまいましたが、手術前の投与で顕著でした。なんか歯が金属になったような感じといったらいいのかな。スパゲティはゴムを噛んでるような感じでした。あとはブロッコリーなど青臭く感じるものはちょっとダメだった。

今、おいしく食べられることが本当に幸せ!

6.便秘・下痢

薬によって便秘になったり、下痢したりしました。下痢は、家を出たあとが心配でしたが、家を出る前に、出るものが出てしまったら落ち着いたのでなんとか大丈夫でしたね。

7.手足のしびれ、指のこわばり

手足のしびれは、病院に通い始めてから今現在もあります。指のこわばりは、アナストロゾール錠を飲み始めてからあります。

どちらも生活に支障はありません。

治療中、治療後の仕事について

2021年3月から2022年10月までの治療中、仕事はどうしていたかというと、手術の時に3週間はまとめて休みましたが、あとは仕事できていました。抗がん剤投与したすぐあとはしゃがんで起き上がったときなど少しクラクラすることはありましたが、無理しないように気を付けていました。

当時私は派遣社員として、派遣先の大手ECサイトA社の倉庫でピッキングの仕事をしていました。お客さんから注文が入った品物を棚に取りに行って、コンベアに流す仕事です。一日中歩き回ります。

抗がん剤治療で免疫力が落ちるから満員電車に乗りたくなくて、派遣元の会社にお願いして、出社、退社をそれぞれ1時間ずらしてもらいました。病院に行く日など、シフトを変えてほしいと言っても嫌な顔をせず受けてくれたりしてありがたかったです。

派遣先のA社でもいろいろ気を使ってもらいました。あまり重たいものを持たなくてもいいようなエリアでやらせてもらったり、急ぎの仕事をやらなくて済むようにしてくれたりして。何かあったらいけないからでしょうけど。

できたらずっとその派遣先で働きたかったのですが、なんと派遣会社自体がその派遣先のA社から撤退することになってしまったのでした。

治療中じゃなければ、A社に残っている別の派遣会社に移ったと思いますが、派遣会社の健康保険組合を利用していたので、派遣会社を変えることはできなかったのです。

辞めるときA社の社員さんたちにあいさつにいったら、みんな集まってくれたので、感謝を述べることができ気持ちよく去ることができました。

A社での契約が終わった次の日からは、別の派遣先で働くことになりました。
有名ECサイトR社の倉庫で、アパレルや雑貨などを棚に入れていく仕事です。抗がん剤投与はあと1回で終わるという頃だったので、とくに派遣先には私が乳がんで治療中だとは言っていませんでした。

なので自分なりに無理をしないように気をつけてやっていたのですが、そこで指示を出す立場の30代の男性には私がタラタラ仕事しているように見えたのか、入社当初から目の敵にされて参りました。

その男性は、社員さんとか仲のいい人以外には口調がきつく、そのせいで辞めた人が何人もいて会社からも注意されたことがあるという人だったらしいですが、

私には特に敵意むき出しにしてくるので、毎日毎日ビクビクしていました。入社してすぐに辞めたかったのですが、健康保険組合が振り込んでくれる高額療養費は3か月後なので、それまでは頑張ろうと思って耐えました。

でも、ほかにいい職場が探せず、最終的には1年2か月就業しました。派遣先の社員さんに相談すればよかったのでしょうが、相談したことが本人に伝わったら大変だしと思って頑張っていました。

そしてあと2ヶ月で60歳になるというころになって、このままじゃ免疫力が落ちちゃう!もうほかにいい職場が見つからなくても辞めようと決意し、社員さんに相談して「あと2か月で辞めるけど、それまでの間、その男性とは別の配置にしてもらいたい」とお願いしました。本人には伝えないように念押しして。

本人の希望で配置を変えるということはしない職場だったのですが、その相談した社員さんからは同情してもらい、変えてもらうことができたのでした。就業最終日その社員さんにあいさつにいったら、「配置のことは考慮するので、また戻ってきてもいいですよ」と言ってくれました。

まとめ

副作用に関しては、大変なこともありましたが、つらいなぁと思うことなく済みました。
体重は治療前は59キロだったのが、44キロまで落ちました(身長166cmです)。筋肉が落ちてしまいちょっと怖くなりましたが、最近はだいぶ戻ってきました。

仕事に関しては、40年近く社会人として働いてきて、あんなに敵意を向けてくる人に会ったことがなかったので大変でした。

読者さまには、こんな話は参考にならないかもしれませんですが、仕事を辞めるまでずっとモヤモヤしていたことを、文章化できてよかったです。

乳がんの治療が終わったら、人生よくなっていくはず!って思っていたところにあんな思いをすることになり、「あれ~?」って感じでしたが、60歳還暦でリセットして、これからは気持ちよく生きていきたいです!

つづく。

いつもありがとうございます!
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